同調からの脱却

気になったことを題材に

3.11の時何してた?

今週のお題防災の日

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2011年3月11日東日本大震災がありました。

北海道では、震災を風化させないなんてトークイベントが毎年行われています。

しかしこのうおうなトークイベントって意味あんの?ってところが本心でもあります。

ましてや北海道は震災については、本州にくらべるとさほど被災していないので、話しや写真や映像見ても実感が湧きにくいというのが現実だと思います。

これは北海道がどうということではなく、震災をリアルに体感していないと、物事を正しく理解するのは誰でも難しいということです。

なので、被災した地域へのなによりもの支援は募金・救援ボランティア・被災した地域の物産を購入して活性化を図る・その地域に赴いて現状を理解する地の物をいただく事が支援に繋がると信じています。

道民が今一番すべきことは台風通過で壊滅的被害にあった地域の農作物・海産物・畜産物を購入して支援することだと思います。
泥が街に入り込んで大変なので救援しなくてはというところもありますが、現状歩道にある泥を車道に押し避けることしか出来ていません、ドラックで泥を積んで運ばないかぎり原状回復には繋がりにくいと思います。

話はタイトルの方にもどって3.11の時何してた?です。
僕は東京で仕事をしていました。
朝から仕事がたてこみお昼もろくに食わず仕事を終えて一段落ついた時でした。
すさまじい揺れを感じ、外に逃げようか考えている間に本震がきて立てない程の揺れがありました。その揺れの中でも立って逃げようとしましたが、まるで立ち上がることは出来ない揺れでした。

揺れが一度落ち着き外にでて余震がなんどかありました。その時自分の働いていた建物をみると今にも倒壊しそうなほど左右に揺れていて言葉を失いました。

東京は震度はそこまで大きくなかったですが、働いていたところは海と川の近くの埋立地だったので、揺れ方が激しかったです。

また震災時にサンシャインシティの最上階付近にいた友人の話も聞きましたが、この世が終わるのかと感じるほどの揺れを感じたと言っていました。

震災後JR・地下鉄は止まっていて帰宅できなくなり、会社に泊まりました。ほとんど寝付けないまま朝を迎え、そのまま仕事をしてJRと地下鉄が復旧した聞いて、まず実家に帰りました。自家に戻ると周辺が計画停電を行っており暗かったのが記憶に残っています。
そういえば計画停電ってホントになんだったんですかね?やっぱり話題をそっちに持っていって福島の情報隠したかったのかな?
実家に戻ると言っても僕は震災の2日前に実家から一人暮らしのため引っ越したばかりでした。

これから一人暮らし始められるぜーからのまさかの3日目で実家に戻るとは思いませんでした。

数日して一人暮らしを始めた家にもどったけど、数ヶ月は計画停電と電車の運行状況変更に苦しみました。

あれから5年以上経過しました。

震災や災害はいつ起こるかわかりません。
備えをすれば必ず救われるわけではありませんが、命をつなぐ方法にはなります。
大きな地震は起きるとガラスが割れます。
そんな道を歩く必要がある場合もあります。
まず身近で誰でもできる防災方法ベッドや布団の近くに靴を置きましょう。ガラスが靴底に刺さっても大丈夫なくらいのそこが厚めなのがベターです。
オシャレなんかじゃなくていいし、使用済みの靴を置くが嫌なら新品で安いのでいいから置いておくと、就寝時に地震が起きてもすぐに逃げることが出来ます。

東京防災

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